たなかし@観る将×データ解析練習場

入院時の暇を利用して王位戦(木村王位×藤井棋聖)を観戦した2日間以来の観る将。データ解析の練習もかねて棋士の強さ解析を実施しながら、マニアックな角度からの観る将ライフを紹介。

鬼の棲み処最終局(2)ーベテラン棋士の生きる道

現代将棋とベテラン

もう一局、もう1人振り返っておきたいB1棋士がいる。屋敷九段である。

おそらく多くのファンが気づいているであろうことだが、屋敷九段は今年から振り飛車党になっている。

最終局はなんと近藤誠七段に後手四間で勝ったというのだ。モバイル中継してほしかった…。ABEMAのマルチアングルでもよかった…。

 

評価値ディストピア

意表の振り飛車といえば、記憶に新しいのは前期の王将リーグ(2020年)で、当時藤井二冠に対していずれも居飛車党の永瀬王座と佐藤天彦九段が振り飛車をぶつけたことだ。

ただ永瀬王座の場合は、その後は去年の竜王戦挑戦者決定戦第一局でも当時藤井二冠にぶつけたのみであり、「対藤井スペシャル」として投入していると考えられる。

一方天彦九段の場合、それ以後何局か振り飛車を指しており、永瀬王座のような一局の勝負に勝つために投入したスペシャル対応という感じではなかった。

天彦九段は振り飛車の特性と振り飛車へのチャレンジについて以下のように語っている。

――佐藤九段はデビューから相居飛車の最新形で戦ってきました。いまは飛車を振ったり、陽動振り飛車のような力戦形を増やしています。理由を教えてください。

佐藤 試行錯誤の一環です。ソフト研究をガリガリやる、巧みに外す、オールラウンダーになって手広くやる。どれが自分に合ったスタンスかを見つけようとしています。

(中略)

――改めて、振り飛車のどういうところに目をつけましたか。

佐藤 振り飛車は個性を出しやすく、自分の好みである程度指しても大丈夫な戦法です。最善手を選ばなくても、居飛車と違っていきなり400、500点も減りません。出発点がマイナス100点ぐらいで少なめだけど、そこから減るにしても現局面より模様が悪くなるぐらいですみます。

ユートピアを求めて、藤井聡太との大一番で振り飛車をぶつけた理由 | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンラインbunshun.jp

 

天彦九段が試行錯誤の中で、「ソフト研究がガリガリ」必要な相居飛車の戦いではなく振り飛車をを試すに至った背景として、彼が今のプロ棋士の状況を「評価値ディストピア」と語ったことが関連している。

佐藤 初形から話を始めると、基本的に先手の初手は▲7六歩か▲2六歩で、そこで後手がどう指すかが早くも岐路なんです。大きく分けると2つで、「評価値を下げずに頑張るぞ!」っていうのが△8四歩です。そのかわり現代の居飛車三大戦法である矢倉、角換わり、相掛かりといった戦型の最新形のシビアな変化を整理して、受けて立つ覚悟が必要になります。

 2手目△3四歩ならそういった居飛車の主流研究を外してシビアな研究合戦に押し込まれないとはいえ、評価値の低い戦法を採用せざるをえない。確実に50点、100点は下がると思われています。例えば横歩取りは評価値が低いし、雁木系も横歩取りほどは下がらないかもしれないけど、相手に主導権を握られる。そして、振り飛車も点数が下がる。どれも先手がアドバンテージを得られるわけです。

 1回だけの勝負なら、押される展開になってもいいんです。でも、ずっとそうやって対局を続けていくのは厳しいかもしれない。そこで棋士は悩み、自分のスタイルを考えるわけです。もちろん、研究だけで勝負が決まるわけじゃありませんし、そんな細かいことを考えずに好きな戦法を指すという人もいます。

「評価値ディストピア」の世界をトップ棋士はどのように見ているのか | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンラインbunshun.jp

今はAIがあるので、評価値が最も高い(下がらない)手を「事前に覚えて」棋戦で指していくということが可能になっていて、そのような現状のことを「評価値ディストピア」と呼んでいるのだと思う。これは将棋はゲームなのに地獄のような世界になってしまっている、と。

なお、天彦九段は昨年の夏以来、飛車を振るのをやめている。そして最近は調子がよい。評価値ディストピアの中に再び飛び込んだのか、そうではない何かを見いだしたのか、今後も注目したい棋士だ。

 

ベテランの振り飛車党への転向

というわけで、屋敷九段の振り飛車転向は、天彦九段の語った「評価値ディストピア」の文脈の中で説明されることなのではないかと思う。

プロ棋士振り飛車党が居飛車党に転向することは自然なことだ。将棋を始める場合、やはり振り飛車の方が序盤・中盤・終盤の展開がわかりやすく指しやすいが、「1手かけて飛車を振る」ということがプロ棋士界であまり評価されないのは、AIが登場するずっと前からのことだ。最近のトップ棋士でも永瀬王座や広瀬八段は転向組で、また若いうちに転向は行われるように思う。

に対し、居飛車党から振り飛車党への転向は非常に珍しい。最近では北浜八段ぐらいだったと思うが、ただ、古いが非常に重要な例がある。大山康晴十五世名人だろう。

大山十五世名人が振り飛車党になったきっかけは、無冠になって対局が増え、居飛車の研究量が多すぎることに消耗していたところ、振り飛車を勧められたとのことらしい。

振り飛車党列伝 | 将棋ペンクラブログwww.google.com

結果的に69歳で亡くなるまでA級を守り、多忙な会長職も13年間務めている。研究合戦で勝敗が決まらない振り飛車の特性がマッチしたということなのだろう。

近藤誠也七段に屋敷九段が振り飛車で勝ったというのはかなり大きなニュースで、もちろん屋敷九段の実力あってのことだが、相居飛車だったら正直近藤誠也七段に分があると考えた方も多かったことだろう。順位戦が終わり新シーズンに向けて準備を進める中で、「評価値ディストピア」からの脱出を試みて、特に実力派のベテラン棋士振り飛車党に続々と転向する、なんて展開もあるのかもしれない。

 

A級棋士と現会長

AI全盛期の現代将棋、つまり評価値ディストピアはベテランにより厳しいと言われるが、その傾向はA級棋士の平均年齢を見るとわかる。

来期の順位戦A級のメンバーの中で、年齢最小値の棋士も1人だけ10代で外れ値だが、最大値の棋士も1人だけ50代で外れ値である(40代はいない)。

A級メンバーよりも、ひょっとするとB級1組メンバーの方が、A級在籍期間が長い棋士は多いのではないですかね。羽生九段を始め、屋敷九段、三浦九段、郷田九段、久保九段、丸山九段。実に濃い。

その中で連盟会長の佐藤康光九段だけがA級でやれてるのはどういうことなのか。佐藤康光九段といえばその独創的な序盤戦術が特徴だと思いますが、それが「評価値ディストピア」の世界の外にいられている秘訣なように思えます。

佐藤康光九段がその独創的な戦術を駆使するようになったきっかけについては以下のように語っておられます。

――若い頃の"緻密流"から現在の独創的な棋風に変わった時期はいつ頃でしょうか。

20代の後半だと思います。羽生さんとタイトル戦を戦っていくなかで、全く歯が立たないという時期がありました。このままではトップに立てないと思い、考え方を柔軟にして棋風の転換を図ったのです。当初は羽生さんとの対局で独創的な指し方をしていました。今は全体の8割ぐらいでしょうか。

佐藤康光九段、最年少で紫綬褒章を受章「羽生さんに勝つために独創的な棋風に」|将棋コラム|日本将棋連盟www.google.com

現代の将棋界の「正攻法」「王道」がAIでの序盤研究で、それを突き詰めた世界が「評価値ディストピア」。

かつては羽生九段が王道であり、あえて王道を外れることで勝負を挑んだ佐藤康光九段が、「評価値ディストピア」な世界でさらにご自身が会長職務で多忙になっても通用するのは、かつて大山康晴十五世名人が振り飛車党に転向してから生涯現役・A級棋士として活躍できたことと通じるものがあるのかもしれない。

 

将棋の王道

将棋の「王道」というのは渡辺名人がよく使う表現で、彼曰わく、今王道の戦い方ができるのは藤井竜王だけだ、とのこと。

詳細は、将棋世界4月号の王将戦第二局の特集をお読みください。将棋ファンなら絶対に読むべき。

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この順位戦で羽生九段がA級から降級し、藤井竜王がB級1組から昇級することでこの二人が順位戦で同じ組になることなくすれ違った。

世代交代を象徴しているとはよく言われているが、王道を背負う役目が羽生九段から藤井竜王に引き継がれたとするなら、

羽生九段は今後どのような将棋を指すのだろうか。